「リアリティ・トランサーフィン」という、本のシリーズがあります。
ロシアの元物理学者である、ヴァジム・ゼランドという方が書いた本で、いわゆるスピリチュアル本・精神世界本に属する本なのですが、人の意識についてユニークな視点を提供しているため、私も参考にさせて頂いています。
この「リアリティ・トランサーフィン」は、人や組織・コミュニティなどが作るエネルギー情報体を「振り子」と呼び、その「振り子」が、あなたにネガティブな幻想を見せていると同時に、あなたの本来のエネルギーを奪っている!と語っているのですが、私がこのブログで書かせて頂いていることが、この「振り子」という概念と馴染みやすいなあ~と思いました。
そこで、今回はこの「振り子」という概念を、意識の動きとして図にしたらどうなるか?を書いてみたいと思います。
「振り子」=あなたを「自分自身」「自己」から引きはがそうとゆさぶりをかける情報。
「振り子」とは、顕在的にであれ潜在的にであれ、自分自身を忘れ、失うほどにあなたの意識(関心・興味)を引き寄せるもの、と言えば良いでしょう。
例えば、好きな異性。
以前の記事でも取り上げましたが、好きな人のことばかりを考えて夜も眠れない!という場合は、下の図のように、自分自身から意識が離れて、その人のことに興味・感心がずっと留まっている状態と思えば良いでしょう。
「心奪われる」と俗に言われる状態ですよね。このような状態を、リアリティ・トランサーフィンでは「『振り子』に支配されている」と呼んでいる、、、と私は考えています。好きも度を過ぎると考え物、、、ということです。
好きな人以外でも、このような意識の状態を呼び起こすものは沢山あります。アイドルグループやその他の有名人、スポーツのチーム、尊敬する人、何かの趣味、特定の思想・宗教、あるいはスマホのパズルゲームなど。また、世間にあふれる広告宣伝も、このような働きを強力に持つものの最たるものでしょう。
そして、嫌いなものでも、あなたの興味を強烈に引き寄せるものはありますよね。特定の政治家だったり、趣味のグループに居るキライな人だったり、特定の思想・宗教だったり、インターネットで炎上している企業だったり。
「アイツ嫌い!」「アイツ許せない!」なんて感情が人の中で強烈に掻き立てられる時、その時意識はどこにあるか?その嫌いな対象ですよね。意識・関心を持っていかれてしまっているわけです。
このような意識状態があまりに頻繁に起こる、というのはかなり問題が多いです。というのも、この意識状態が当たり前になってしまった人というのは、いつでも自分の外側の何かに意識・関心を向けている状態になってしまい、心が安らぐヒマがなく、自分の心身を内省的に観察し、自分自身が本当に思っていることなどに気づく機会が非常に少なくなってしまうのです。
会社・学校・その他コミュニティの同調圧力や、一般常識という「振り子」。
また、会社・学校・その他コミュニティの(顕在的・潜在的なルールによる)同調圧力や、教科書的な一般常識というものも、「振り子」として、自分を自分自身でいられなくするもの、自己から引き離すものと言って良いでしょう。
仮に、自分自身を忘れ、組織や常識に100%縛られっぱなしの男性―100%というのはさすがに稀とは思いますが―を想定して、意識の動きを描いてみると、下のような感じになります。例に挙げた言葉がちょっと古いですね(笑)。今の学生さんなどだと、「公務員が一番だ」なんて言葉が入ってきたりするのかもしれません(これも偏見!?)。
なんだか、すごくお堅い人物像ができてしまいました。
一見真面目に見える人物像ですが、ここで問題なのは、自分自身に意識が向くことがほとんどないこと。まさに「振り子」に振り回されて、自分自身を見失っている状態と言えるでしょう。自分自身が本当にやりたいこと、望む人生や働き方、自分の可能性などに気づく機会が非常に少なく、自由な考え・行動や創造的な考えに縛りをかけまくっている状態とも言えます。
社会学者の宮台真司氏なら、この状態を「『自発性』のみを持ち、『内発性』を持たない」と言うかもしれません。また、「社会的催眠にどっぷり使った状態」と呼んでも良いでしょう。
なお、ここで誤解して頂きたくないのですが、組織人としての生活を捨て、自分で独立して生活している人のほうが、このモデルのような人よりも自由だ!とは必ずしも言えません。自分で独立して生活している人が、誰かから吹き込まれた「サラリーマンを続けるなんてバカバカしい!」「自由な人生を実現しよう!」といった思想に振り回されて、自分自身を見失っているケースも沢山あります。どちらも、自分自身に意識が向くことが少ない、という点ではあまり差がありません。
「振り子」からの影響に気をつけて、「自分自身」「自己」に立ち返る習慣をつけると、自分を縛っているものが薄れていく。
社会で生きていく以上、自分自身を見失わせるような「振り子」の影響と無縁である、ということはほぼあり得ないと言って良いでしょう。ただ、あまりに「振り子」に支配ばかりされ、自分自身に立ち返る機会が少ないという状態は、周囲や世間や一般常識に振り回されてしまい、自分の本当の思いや可能性にフタをしてしまっている状態ということができます。
自分が思っていることが、「振り子」の影響下にあるものなのか、本当の自分が思っているのかを少しでも明らかにするためには、自分自身に以下のような問いかけをしてみることが有効でしょう。
・「これは、そもそも自分が本当に思っていることだろうか?」
・「社会的な常識や、両親・教師から教えられたことに縛られているだけではないだろうか?」
・「これに関わることで、一番得をするのは誰だろうか?(自分ではなく、他の人や組織ではないだろうか)」
・「今自分が関心を寄せているこれは、自分にとって本当に関心を寄せるに足ることだろうか?」
・「私が努力しているこれは、何かの罪悪感や恐怖感から逃れるための埋め草ではないだろうか?」
・「私があそこのコミュニティに参加しているのは、単に孤独が怖いからではないだろうか?」
ひょっとすると、思いもよらないものが自分を縛っていることに気づくかもしれません。
自分を振り回している「振り子」の影響に気付くことができると、自分を縛っているもの―幻想と言っても良いでしょう―のタガが少しずつゆるみ、自分自身が本当に思っていることに気づきやすくなります。